野球部の練習

今日、走っていたら野球部が活動していた。
かくいう僕も野球部だったので、懐かしいなあと見ていた。


大声で校歌を歌わされているのを見てると、自分の環境も理不尽だったなあと思いだした。
でも、当時はそれが当たり前だったし、なんの疑問も持たなかった。


今は仕事をしているが、体育会系ではない。
業務はきちんとしているが、どちらかといえばゆるい。
でも自分は、それが心地よいと思っている。


もちろん、あのまま体育会系で過ごしてもよかった。
そうすれば、もしかしたら自分の成長はもっと速かったかもしれない。
でも、まあ後悔はない。


練習の最後を見ていた時、こう思った。
人から与えられた生き方より、自分の思う生き方をしてみればいい。
それで、その後の自分の人生で答え合わせをしていけばいいのではないかと。


間違っていたならば、きっと思わぬ結果になるはず。
どんどん年下に抜かれて、収入も上がらない。
でも、自分で決めたのなら納得できるし、結果への対策も打てる。


どんな時でも、自分の基準を変えないことが大切なんじゃないか。
(念を押しますが、野球部を否定してるわけではないですよ)

結婚願望

結婚願望がありました。
でも、今日それが少し薄まりました。


僕は今、友人と共同生活をしています。
一戸建てを借りて、住んでいます。


一緒に住んでいるそいつは、とてもいい奴なのですが、とても細かい。
トイレのふたから、風呂の窓、洗濯物の干し方まで色んなことを気にしています。
きのうは、座って小便するように言われました。
汚い話をすみません。


まあ、僕はとてもその辺は適当なので、勉強になるなあと最初は感じていました。
でも、そのトイレの会話の辺りで、こいつは中々に尋常ではない細かさじゃあないか、という結論に行き着きました。


そして、ふと思いました。
あれ、結婚したらこんなんじゃないの?、と。
細かい小言を毎日言われ、(今、毎日言われてるわけじゃないですよ)
仕事で気を使い、家でも気を使うんじゃないの?
それで、おれどこで休んだらいいの?となるかもしれません。


そして何より、自分の時間も無くなります。
共同生活でも、お互いがストレスない生活を送る為に、やることは多いです。
これが結婚して、子供が出来たらなおさらじゃないの?
制作なんてやってる時間は当然ないです。


あれ?あれ?あれ?
結婚している先輩方、皆さまはすごいですね。


ほんで、相手は選ばなあかんなあ。

毎日はしる事

太るのがイヤで毎日走っていた。
もちろん、雨の日や体調が悪い時などは休んでいるが、極力は走る。


自分は中肉中背なので、言わなければ、僕が何をしているかは伝わりにくい。
「痩せろよ」と細身の人に言われても、結構走ってるんだけどなと思うくらいに留めておいた。
でも、あんまり意味ないのかなと、自分でも思い始めていた。


そんなある時、他の人と一緒に走ろうということになった。
そして、そこで差が顕著に出ることになった。


何気なく毎日していることでも、継続していれば意味はあるもんだ。

ゲームをする

ゲームを久しぶりにして、目と頭が痛い。


何でもそうかもしれないが、ほどほどが一番だ。
極端にのめり込んでも、いいことなんてあんまりないのではないか。
周りが見えなくなるだけという気がする。


バランスが大切。スイッチではなくスライダで考える。

仕事と家と

ある場面では活きていることでも、違った場面ではまったく反対の結果になる。
そんなこともあるもんだ。


仕事できちんとやるべきことをこなし、疲れて家に帰ると、そこでも同様のことを求められる。
これは共同生活である為、仕方がないことなのだろう。


正直気を休める場所がないが、恩恵も無くはないので我慢なのだ。
そして自分は醒めている所があり、一匹狼のような人間なのだなと改めて実感した。

チャップリンの言葉

チャップリンの言葉に、


「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」という言葉がある。


生きるのは、何も面白い事ばかりではないけど、時間が経ってみれば笑えるものである。
言われてみれば確かにそうだ。


だとしたら、せっかくなので何でも楽しんでみようじゃないか。
遅刻しそうだからと、イライラして他人に苛立ちを感じながら、自転車こいでも仕方ない。

見え方

最近、買った自転車の色はマゼンタだ。


今までよほど派手な形をした自転車しか視界に入らなかったが、
購入以降は、驚くほどマゼンタが目に飛び込んでくる。


フィルターはこわいな、という話。